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宮本優太選手 浦和レッドダイヤモンズ加入内定のお知らせ

この度、当部に所属しております宮本優太選手が2022シーズンより浦和レッドダイヤモンズに加入が内定しましたのでお知らせします。

また、2020年JFA・Jリーグ特別指定選手として承認されましたので併せてお知らせします。

【プロフィール】

・宮本優太(みやもとゆうた)

・1999年12月15日(20歳)

・身長/体重170cm/70kg

・東京都出身

【経歴】

田柄フットボールクラブ→NPO法人ワセダクラブForza`02→流通経済大学付属柏高校→流通経済大学

【コメント】

2022シーズンから浦和レッドダイヤモンズでプレーする事になりました宮本優太です。

先日、アミノバイタルカップでチーム一丸となって最後まで諦めずに戦うことで、流通経済大学史上初となる優勝を飾る事ができました。そんな事もあり、みなさんが今、流通経済大学を思い浮かべた時に「強い」や「曺コーチ」などの言葉が浮かぶと思います。今年やってきた事の結果がそう言ったイメージに繋がると思います。しかし、私が大学に入学して2年間は全くと言っていいほど結果が出ず、去年は関東大学リーグで1部から2部に降格してしまいました。

私は流通経済大学付属柏高等学校から流通経済大学に進学してきました。高校3年生の時にはキャプテンを務め、インターハイで初の単独優勝をする事ができ、選手権では準優勝という結果を残す事ができました。3年生のインターハイ後、進路相談の機会に「プロの誘いはないですか?」と聞いた時「ない」という返事しかもらえませんでした。自分の中では「プロ」か「流経大」という考えしかなかったので「流経大に行って必ずプロになろう」という思いで流経大への進学を決めました。選手権が終わり高校選抜に入り海外遠征を経験する事ができ、更に優勝する事もできました。その後流経大に入学し1年生チームで夏前まで関東社会人リーグを戦い、アミノバイタルカップ前にトップチームに昇格する事ができました。しかし、アミノバイタルカップは全国まであと一歩届かず、リーグ戦でも思うような結果が出せず、インカレ出場権を獲得できませんでした。

2年目には全日本大学選抜に選んでもらう事ができました。そこでものすごく「プロ」を遠くに感じました。当時のメンバーには旗手怜央選手(現川崎フロンターレ所属)、紺野和也選手(現FC東京所属)、金子拓郎選手(現コンサドーレ札幌所属)などJリーグで活躍している選手ばかりでした。ものすごく差を感じ不安になりましたが、その中でプレーしていた筑波大の角田涼太郎選手や山原怜音選手に追いつきたいという気持ちが大きくなりました。

流経大としては結果が出ず全国大会には出場できず、リーグ戦では初の降格となってしまいました。

3年生になり私はチームの副キャプテンを務めることになりました。4年生がいる中で副キャプテンを務めることは覚悟と度胸が必要です。シーズン開幕に向け、徐々に練習が厳しくなってきた時にトップチームの練習に曺コーチが合流しました。私は3年生ですが全日本大学選抜にボランチとして選んでいただいていました。しかし自チームではサイドバックを任されていました。正直自分は何で勝負していいのかわからず、このまま長所も出せずに終わっていくんではないかと不安になる日々が続きました。そんな時に曺コーチに「どうしたい?」と聞かれ正直に全てを話しました。曺コーチからは「サイドバックでも勝負できるぞ」という言葉を頂きました。縦横無尽に走れる体力には自信があったので、自分の長所を生かすこと、サイドバックの技術的な所も身につけようと毎日練習をしました。

2年生の時に長友佑都選手とトレーニングした事があり、大平コーチから「長友選手みたいになれ」と言われ続け、自分でも意識をしていました。長友選手がインスタグラムに体幹トレーニングをあげたらすぐに真似をしました。コロナウイルスの為、サッカー部としての活動が中止されている時もひたすら走り、ボールを蹴り、感覚が鈍らないようにトレーニングを欠かさず、また少しでもプラスになるように昔の試合もよく見ました。

コロナが少し落ち着きリーグ戦に向け活動が再開し、リーグ戦では初戦から白星スタートする事ができ、このまま右肩上がりで登っていくのかと思っていました。しかしうまくはいかずに何度もミーティングをし、選手同士で話し合い、チームがまとまってきた時に天皇杯茨城県予選決勝で筑波大学に敗戦。正直その時はがっかり感や脱力感がありました。しかしアミノバイタルカップが始まる前からチームにまとまりが出始め「もう負けたくない」という気持ちが全員から伝わってきました。どんなに苦しい状況でも絶対に諦めず、全員で戦い1部相手でもめげずに戦い続けた事によって、アミノバイタルカップで優勝する事ができたのだと思います。自分にとっては1年生から出場している事もあり、3度目の正直でした。絶対に負けたくない気持ちもあり、自分の価値も上げようと臨んだ大会でもあったので、全国が決まった時は正直ホッとし、涙が止まりませんでした。

大学に入学していくつ挫折を経験したかわかりませんが、その度に監督をはじめスタッフのみなさんの温かい言葉に助けられ、チームメイトにも何度も救われました。遠く離れたところから応援してくれている家族のためにも、これからもっと結果を残し恩返しできるように頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。